更新時の一言・・・大震災後

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平成23年4月1日 新年度、3回目の金曜日の分から

(21日 朝)「思いがけないこと」というのは嫌なことの場合はショックが余計に大きくなりますが、いいことだった場合は喜びや感激も倍増します。昨日は連日の不安感に加えてこの寒さのせいもあって気力低下状態が朝からひどく、何かやろうとしてもため息をついて手につかないという状態でした。本当は夜の授業に向けて準備しなければならないものもあるし・・・。

そんな自己嫌悪も加わった悪循環でもがいていた時に届いたまさに「思いがけないある郵便」によって切れかけていた気持ちが再起動できました。早くやらなければならないと思っていながら着手できないでいた作業を二つやることができました。またこれには「アナログの威力」という側面もありました。やはりどんなに便利にはなっても、人間の生活にアナログの部分は絶対に必要です。だって、体は「人間」という名の動物なのですから。

今朝の朝日新聞には今後の余震の見通しについて何人もの専門家の意見が紹介されていました。やはり数ヶ月ではなくて数年レベルでM8クラスの余震はまだまだあると覚悟を決めておく必要があるようです。

(20日 朝)福島県から避難してきた方々への差別的なひどい話を耳にするたびに悲しい気持ちになります。転入して自己紹介をしたらサーッとみんないなくなったとか・・・・そりゃ目に見えない放射能への不安がこれだけかきたてられていれば、「関わりたくない」というのが本音なのでしょうが、様々な事情を考えるとあまりにエゴ丸出しのむごい仕打ちではないでしょうか。

父方の実家はいわき市で、親戚もたくさん住んでいます。母方の親戚もいます。(原発からはそれなりに離れている場所です)私が生まれたのもいわき市内の産院です。だからよけいに心が痛むんです。魚介類もとっても美味しい。その海に「仕方ないから」と放射能をおびた水を大量に流して、その被害は茨城県の海にまで及んで・・・でもそれで大変な被害を受けているのは電力会社の偉い方々や官僚・政治家ではなく、地元の方々や、危険な場所で作業をしている現場の作業員や自衛隊の方々です。

「原発を受け入れてきた住民は税制等々でいろんな優遇をされてきたではないか」という発言をされているのも聞いたことがありますが、それだって「絶対安全」という言葉とワンセットで、首都圏の電気をまかなうためにどうしても必要と説得されてのこと。しかも本当に立地した地域でそうした措置がとられていただけであって、近くても市町村が違えばそんなご利益は受けていなかった・・・それでも今回家や生活を捨て、仕事も失い、損害補償といっても子供だましで・・・絶望的な状況に追い込まれ、そして避難先では電気の恩恵を享受してきた方々にひどい仕打ちを受ける・・・もうこれは人災です。

今後、原子力発電所をどうすればいいのかの議論をする時にも、我々一人一人がどういった生活をしていきたいのか、そのためにリスクをどう分け合うのかということは真剣に考えなければならないでしょう。

いわき市に住むある親戚は、「それでも原発が必要だというなら、今度こそ東京や神奈川で使う分は東京湾に建てればいい」と言っていました。実際に建てる際にはいろいろな問題があって困難、とか知事が絶対反対を主張しそうですが、今まで通りの恩恵は欲しいけど、原発はよその土地で、というのは安全神話が崩れた今、もう通用しない時代になったのではないでしょうか。自分たちの地域で受け入れてでも、という覚悟がないのなら、根本的にライフスタイルを見直して実行に移す。

かく言う私の住んでいる場所も東海村の原子力発電所に近いといえば近い場所です。最大規模の余震で津波が再来して「想定外」という被害が出たら、やはり絶望的な状況になると近所の方々とも話していますが、茨城県でも放射能の風評被害でほうれん草が売れなくなったことを悲観した農家の方が自殺してしまったという事例が出てきています。

離れた地域の方は「心配だから買わない」「避難してきた人を避ける」で安心を得て気が済むかもしれませんが、見た目には町が壊れていないように見える多くの地域でも大変な想いを強いられている人たちが大勢いるということへの想像力を我が身に置き換えて働かせて頂けたらありがたいと思います。

テレビで芸能人が激励に訪れている被災地の報道が連日なされているのを観て、すべての被災地がああしたようになっていると錯覚されているむきもあるようです。ほとんどの被災者は今でも見捨てられたような気持ちになりながらじっと不自由な生活を耐え忍んでいます。そして家を失っている方も失っていなくても今後の生活の道が断たれていて絶望的な気持ちになっています。(家が余震や昨日のような大雨で危機が拡大している場合もとっても多いのです。水戸周辺でも屋根にブルーシートがかけられている家ばかり・・・これからの大雨シーズン、台風シーズンは脅威です。直したくても工事は半年から数年待ち・・・そもそも瓦の絶対量が不足しているとか。)

何度も言いますが、人災的な部分も含めて、
まだまだ被害は進行形・・・ある意味で拡大中なんです。

(19日 夜)いつもより早く「今週の学習会だより」コーナーを更新しました。18日の朝に書いたことをもとにしています。「究極のぼんやり」と「知識」との関連についても来週以降考えていきたいと思っています。ちょうど社会人クラスでも「千と千尋の神隠し」関連で「知識」の意義について話題になったので。

(19日 朝)大学進学で下宿生活を始めたS君からは自炊をするようになって初めて感じるようになった想いがメールできまた。わが手によって食材を調理することによって「生命あるもの」を頂いているということを再確認したという内容でした。そのメールを読みながら、自分も食材に関するいろんなことを思い出しました。

動物だけではなく植物を食べるということも「生命」を頂いているのですから、他の命を奪う事で生きながらえていくというのは人間の背負う業の一つです。だからこそ罪の意識を「感謝」と「美味しいね」という喜びに転換させた上で頂くということも大事なことだと思っています。

それだけに食材を無駄にしないというのは基本中の基本であるはずなのですが、以前評判になったあるCMのように、日本は世界じゅうから大量に食材を輸入していながら、生ゴミの排出量も半端ではない国になってしまっています。これは大いに反省しなければならないことですね。


生命といえば・・・昨日は大変に痛ましい交通事故のニュースも報道されていました。「いってきまーす」と元気に家を出た子ども達が、その数分後にまさか命を落とすなんて・・・。交通事故も文明が生んでしまった業の一つなのかもしれませんが、そうしたことが起こる可能性を下げることはそれぞれの運転者の意識を集結させることで可能です。

どんなに気をつけて安全運転していても、急に飛び出されたら私も回避する自信はありません。それでも例えば速度が制限内か大幅にオーバーしてしまっているかで結果は大きく変わりうるわけです。

先日、分校の桜を撮りに行った時にも平成21年10月28日に交通事故で小学校1年生の子が亡くなった現場を通ったのですが、今でもお供え物が道端にそえられています。何年たっても悲しみは癒えません。そんな悲劇を本当に減らしていきたいものです。

(18日 朝)ゆうべ大学1年のゴンさんと「ぼんやりする」ということについての話題になりました。近いうちに学習会だよりでも取り上げようと思ったのですが、「究極のぼんやり状態」っていうのは瞑想に通じている・・・そしてそれは日本を代表する哲学者 西田幾多郎の主張していた「純粋経験」ともつながっていくんだろうなという事を再確認できました。

意識がしっかりと働いた状態で過ごしていると、自分に興味・関心のあることは鋭くキャッチし、そうでないものは感覚器の段階で門前払いになってしまうのが人間の常です。だから意識世界・イメージ世界に蓄積されるものには個々人で違いが出てくるし、その蓄積によって人生を歩む姿勢も偏ってきます。それが個性とも言えるかもしれません。感覚をオフにしてではなく、感覚を全開にした常態で意識のフィルターだけをオフにした状態・・・そんな「ぼんやり」は、自分の今までの世界観や人生観、あるいは物事のとらえかたを大きく転換させるきっかけになる可能性を秘めているようです。

ましてや「想定外」というのを言い訳に使う・・・しかも実態は本当に想定できなかったというよりは、「みてみぬふり」というか、想定したら現実的な問題が出てきてしまうから、これくらいに想定を抑えておこうというような本音がチラチラ見え隠れしているのが素人目にも分かるような場合すらある・・・風潮が主流の現代社会においては、我々一人一人がこうした「ぼんやり」によって自分にとって想定外の世界にも感覚を開き、様々な可能性を想定できる能力をアップしていかないと、この情報社会の中で主体的に生きていくことがますますできなくなりそうです。

ゴンさんとは「知識」ということについても話題になりました。ちょうど先日の社会人塾でも「知識」と「感情・イメージ・生き様」との関連について話題になったのですが、これも現代社会に生きるキーワードとしてもっと深く考えて生きたいと思っています。

今日も授業はない一日・・・「ぼんやり」過ごすことになると思いますが、究極のぼんやりに浸りたくても「余震」という現実が容易に私の感覚等々をかく乱してしまいます。ぼんやりと布団の中で過ごすことができるようになるまで数ヶ月から数年かかるだろうというのは、やはりシンドイものです。


(17日 朝)ある高校生が量子論の世界で有名な「シュレーディンガーのねこ」という思考実験の拡張で「開けるまで分からない、って言ったら 桃太郎 や 鶴の恩返し の話はどうなってしまうんでしょうね」と言い出しました。この思考実験について詳しく説明するスペースも理解度もないのですが、ごく簡単に言うと電子などの超ミクロの世界では、それがどこに存在するのかは確率的にしか言えず、実際に観測するまでは確定しない、ということです。

例えば真ん中に仕切りを入れて左右に分かれた箱に電子が一個あったとすると、箱を開ける前に右か左かどちらかにあるのではなくて、どちらにある確率も同等にある・・・場合によっては箱から出てしまっていることもあり得るという・・・・そうした電子の振る舞いに連動したネコを死に至らしめる装置があって・・・さて、フタを開けるとネコがどうなっているかというと確率的に半々。でもそれは開ける前にどうなっているのかが半々というのとはちょっと違う・・・「生きている猫」と「死んでいる猫」が同時に存在しているかのようなイメージらしいのです。

ここから極端な拡張として「パラレルワールド」(並行世界)なんていうのが存在するという主張もあって、SFやアニメではしばしば用いられています。

*もう少し詳しく知りたい方は本屋さんにいけば一般の読者向けの量子論入門書がいろいろと出版されていて、必ずといっていいほどこのネコの実験については書いてあります。

これを昔話に当てはめたらという「もしも遊び」みたいなことで・・・そうすると「舌切り雀」や「浦島太郎」などのように何かを開けるタイプのお話・・・さらには「花さか爺さん」のように地面を掘ってみるというタイプのお話でも、様々なバリエーションが生まれてくるのではないか・・・そんなことでしばらく「いろいろな場合」を二人で考えて盛り上がりました。

私もよく用いていた「想定外」という言葉は「自分の意識世界の枠を広げる」という豊かさへのカギとして使われてこそ意義のある言葉だと思うのですが、最近の様な「専門家言い訳としての使われ方」ではあまりにお粗末です。

「絶対大丈夫」「こうなるに決まっている」というのは、「ある種の安心感」になると同時に「逃げの方便」にもなり得る危険をいつも孕んでいることは自覚しておく必要があります。

学校でも「絶対正しい」「この通りに覚えておきなさい」式の詰め込みばかりをしていると、想定外に極めて弱い人間しか育てられなくなります。むしろ自ら「こんなこともあるかもしれない」と自分の枠をどんどん広げていけるようになるためにも、こうした思考遊びを時にはやるようにしてみるといいと思います。だいたい文明なんていうのもその時々の常識を打ち破る「偉大な馬鹿者」のおかげで変化し続けてきたわけですから。

(16日 朝)家庭教師、夕方の授業前、到着してフト空をみると雲の薄くなっているあたりが虹色になっているのがみえました。
不吉な前兆なのか、それとも幸福の前触れなのか・・・・と思いつつとりあえずデジカメをとりだしてパチリ。


次はあの社会人対象のクラスだったのですが、一人の子が到着するなり「うちのばあちゃんとかが今日は大きな地震が来るって言ってるんだけど・・」。先ほどの雲のこともあったので不安がよぎります。やがてみんなの持っていた携帯が緊急地震速報の警戒音で一斉にうなりだして・・・緊張の一瞬・・・でも地震はきませんでした。一同ホッとしました。

ゆうべも久しぶりに会った教え子がいて「あー、社会人になっているんだなー」という感じがして・・・。それぞれの人生が反映した発言をききながら私もさらに想いが深まります。この前も書きましたが、こうしたかつての教え子たちと再び関わって語り合いが出来るという機会が、この大震災の時期にめぐってきたというのにとっても深い意義を感じています。


(15日 午前)
更新した学習会だよりですが、上原先生語録の中の「あきらめ」という言葉について教え子達の反応が強いです。それと「あきらめ」に関連して何を思い浮かべるかで圧倒的に出てきたのがマンガ「スラムダンク」に出てくる安西先生が三井選手に語った場面ですね。それから「新世紀エヴァンゲリオン」のミサトさんのセリフ関連。

ある高校生と出てきたのは「とある科学の超電磁砲」というアニメについてです。このアニメは彼に勧められて最近観たのですが、今回の便りの中にある「あきらめ」と「合わせ」とをつなげるヒントがありそうで・・・そのことがこの地震からの復興へのカギにもなりそうと真面目に思っています。

復興のカギといえば、安政大震災後に被災した江戸庶民の間で大流行したという「ナマズ絵」について、やはり学習会だよりで今年の初めに特集したのですが、それも学習会だよりコーナーに再録しました。あれを特集していた当時は、まさか3月にこのようなことが起きるとは全く考えずに書いていたので読み返すと不思議な感覚です。

ゆうべの授業時に出ていたお茶菓子でおせんべいがあったのですが、手にとって袋をあけようと裏返したら2枚入っている裏側の方が割れてヒビが入っていました。


それをみた瞬間、結構ドキッとしてしまいました。我が家のあちこちにできているヒビや亀裂がリアルに頭の中に浮かんできて。

物が落ちる音といいガラスの割れる音といい、こうしたヒビといい・・・50近い大人であるタヌキの心は子どものように痛手を負っていることを思い知らされます。情けないですが、それが事実。まあ逆に言えば些細なことでも動揺する子ども達に共感できるということではあるのですがね。

仕事前にはもう一度分校跡地にいって何枚も桜の写真を撮ってきました。


そのうち環境ホームページ「ワニワニ分校」の方で大きく載せたいと思っていますが、実行できるかどうか????

(14日 午前)Skypeですが、先日関西にいる子とやりとりした時には向こうにwebカメラがなかったのでこちらの様子は向こうで観る事ができても、あちらの様子は観る事ができませんでした。ゆうべは別の子とやりとりしたのですが、あちらの画像も送信されてきていたので、本格的なテレビ電話状態になりました。


ノートパソコン上の画像をパチリ。一番右は久しぶりに登場のララちゃんです

テレビ電話といって真っ先に思い浮かべるのは「ウルトラセブン」です。ウルトラ警備隊が腕時計のような通信機を身につけているのですが、それに相手の画像が写って・・・それが今や携帯という形で実現しているわけです。(もっとも私はその恩恵を受けることをずっと拒否していましたが)もう一つは「機械の図鑑」に載っていた未来の生活というページの中にテレビ電話が載っていました。

それが本当に実現しているんだな・・・という思いでゆうべはやりとりしていました。

もし通話の最中に大きな余震が来たら、私の方の画面が激しく揺れだしいろんなものが私にぶつかってきて停電になってブチッと画面が途切れる・・・なんていうことも予想されたのですが、幸い通話中には余震はありませんでした。

(13日 朝)今朝もやっていましたが、テレビでよく報道される避難所以外に、ほとんど存在を知られていない小規模の避難所となっているところが数千箇所はあるのではないかと言われています。そこには生活に必要な物資もなかなか届かない・・・もちろん電気も水道も復旧の見込みはたっていません。震災一ヶ月を過ぎたという言葉はそうした方々にとっては全く実感のない言葉でしょう。

比較的被害の少なかったと言われている私の住んでいる水戸市周辺でも塀は崩れたまま、あるいは崩れそうになっていて危険の張り紙があちこちあります。瓦が崩れてブルーシートをかけたままの屋根もほとんどそのままの状態。直したくても工事の順番待ちは数ヶ月から1〜2年だとか。これから梅雨のシーズンになったり、台風がやってくるシーズンになってもそのままの状況で迎えなければならないのですから大変です。

国道などを走っても地域によっては大破している大型店舗もそれなりにあるし、大破とまではいかないまでも未だに営業を再開していない店もけっこうあります。百貨店などで営業をしていてもエスカレーター復旧まではまだまだかかるとかもあります。

そんな中で余震なんて言えないようなレベルの大きな地震も頻発・・・直しかけてもまた壊れてしまう・・・それがあと数ヶ月、あるいは1年以上続く可能性もあると思っていた方がいいという・・・先の見えないことが本当に心身を消耗させます。

(12日 午後)先ほどまたいわき市でも震度6弱の余震・・・水戸市では震度4。こんな毎日の様に震度6弱の地震が起きるというのも本当に異常事態です。今朝も大きなのがあったし・・・。いつ起きるか分からないから余計に疑心暗鬼にもなって・・・。(また揺れだしました)心臓に悪い・・・・

(12日 朝)ゆうべの余震ニュースの中で避難所にいた小さな子が余震の揺れで泣き出した姿がありました。顔に出さなくても相当心にダメージを受けている子はいるでしょうね。進学によって知らない土地で一人暮らしが始まったばかりの教え子で震度が大きかった余震に遭遇した子もいるのですが、これからの生活がかなり不安になったようです。

昨日の昼間、分校跡地に桜を撮りにいったのですが、見頃にはまだちょっと早かったです。でもその分、咲き始めの小さな花に目がいきました。


こんな風に太い幹のところどころからささやかに花をつけているのが、避難所で余震の恐怖に泣き出した子が母親に抱かれているイメージとも重なって・・・。

もちろんお母さんだって余震の不安・今の生活の苦難・これからの生活への絶望感等々で大変な心の状態だと思いますが、でもしっかりとわが子を抱いて守っている・・・・桜の幹の力強さのようです。

(11日 夕方その2)昼間とはうってかわっての冷たい空気が強風とともに吹き始め、大粒の雨が降り出しました。雷と断続的な余震の揺れのダブルパンチです。(今も揺れています)落雷の停電なんかもありうるかな・・・先ほどの動揺が収まっていないので余計に心細いものです。



(11日 夕方その1)つい先ほどの大きな余震・・・まだ断続的に余震が続いています。水戸は震度5弱。寝室にいました。周囲の書類やDVDなどが崩れてきて体に次々とあたりました。薄型テレビが倒れそうになったところで揺れがおさまってきて怪我はしないですみました。今夜はリブマックスの非常モードで寝た方がよさそうです。(本当はあと数ヶ月はそうなのでしょうが)

震源に近く震度6レベルだったところに住む親戚にやっと連絡がとれたのですが、かなりの揺れで大変だったようです。現在停電しているとか・・・。

それにしても・・・心身へのダメージがさらにジワジワと進行・・・遠くから緊急車両のサイレンの音が聞こえてきているのですが、あの11日の一晩中の様子を思い起こさせて・・・余計に脈や呼吸が乱れます。

(11日 朝)早朝の散歩時にカメラを持っていき桜を撮りました。幼い頃に母の実家たる水戸に集結したときによく従兄弟たちと遊んだ公園です。



昨夜は小さいながらも体感できる余震が何度かあって、やはりあまり眠れなかったので、これからもう一眠りしてから、今度は毎年恒例である分校跡地へ桜の写真を撮りにいこうかと思っています。

(11日 午前0時過ぎ)昨日ふれた教え子は関西に下宿なのですが、メール内にもう一つ「Skype」についても書いてありました。ソフトをダウンロードすればソフトの共有者同士は無料でやりとりできるんだとか・・・そういう方面の情報に疎かったので全く知りませんでした。その後、実はそのソフトはうちのノートパソコンに標準装備されていることが判明。地震で崩れた荷物の中から付属のマイクをやっとこさみつけてなんだかんだやっているうちに教え子からアクセスがきて・・・・久しぶりに話し込みました。

向こうはカメラが付いていないのですが、こちらはWebカメラも付いていたので、こっちの様子は向こうにテレビ電話状態になっていたようです。

で、今、民俗学的なことに興味を持っているという話になり、そこから上原先生の話になり・・・というところでフッと「あっ!そろそろ先生の命日だ・・・アッ11日・・・あと20分で11日だ!」これも偶然ではないのでしょうね・・・・。

というわけでもう午前0時を過ぎているので、今日が平成8年に他界された上原先生の命日です。それからまた、今日はある教え子のお母さんの命日でもあります。退職後にも大変にお世話になった方です。


(10日 朝)
ある教え子からこんなブログの記事のアドレスを紹介されました。 http://anond.hatelabo.jp/20110407001402 「頑張って」という支援活動に対してかなり強い拒絶反応が綴られていて、またそれに対していろんな意見がなされていました。

私も心身が超低空状態の時には励ましの言葉が逆に負担になって、例えば「プラス思考」を連発する母に「頼むからもう何も言わないでくれ。それが一番だよ」と言ったことが何度もあります。どんなに意思で何とかしようと思っても、「元気を出せない」「前向きになれない」自分がそこにいることは変えられない事実という実感があって・・・だからそんな自分が余計に情けなくなってさらに落ち込む。ましてやこのブログの方のように家も何も失った立場の人が、そうでない立場の人から頑張れと言われても「家のある人に自分の気持ちが分かるか!」と思ってしまうのも無理からぬことです。この方に対して批判的な意見も多くありましたが、それはやはり「それだけ本当に大変な状況にあっての心からの悲鳴のようなもの」と察してあげて欲しいと率直に思います。

ただ、できればこの方も、無理して元気になろうとかとは思わなくていいですが、例えばどんなにささいなことでもいいから避難所にいる周囲の方々とのやりとりの中でほんの一瞬でも地震前の頃の気分が甦ったな、とか、子ども達と周囲の方々のやりとりをながめていて心がなごんで感じられたという自分と出会って欲しいと思います。最初のうちは「なんでそんなに明るい顔ができるんだ・・・」と、自分と同じようにいろいろなものを失ったのに笑顔をみせる人、遊んでいる子どもをみると反発心が湧いてきてしまうかもしれませんが・・・・。

また無理に周囲を見渡すと「自分も笑顔をみせられないとダメかな」とか「子供たちだって元気でいるのに自分はダメだな」とか「自分だけじゃないのに」と思ってしまうこともあるとは思いますが・・・だから自然にぼんやり・・・無気力な視線でいいですから・・・ただ、そうしていくうちに何かが自分の無意識世界から湧き上がってくる・・・時間はかかるかもしれませんが・・・それを自分で期間限定せずに待つ・・・これからどう生きていけばいいのかの希望も見通しも全く見えないのに「待て」とは状況を知らぬ者のたわ言、と叱られそうですが、それならばなおのこと、独りでという気持ちではなく同じ境遇にある人が共に待っているんだなという気持ちを持てたらと思います。

自分が苦しい時って、周囲に同じような苦しみや、もっと大変な人がいても、自分の苦しさを軽減するのに何の役にも立たない、逆効果にさえなることがあるのも、十分承知した上で、でも自分を責めずに・・・元気な振る舞いをしている人も責めずに・・・という心境に近づいていけることを願っています。(というか自分にもそう言い聞かせています)

(9日 朝)今朝の朝日新聞に今後の余震の可能性について今まで以上につっこんだ内容(楽観できないという内容)が載っていました。不安をあおってしまうという配慮なのか、ほとんど今までの報道では大きな余震についての指摘は控え目だったようですが、今回の余震をきっかけにふみきったようです。簡単に言えば大地震の時によく起こりうることとしての、本震レベルの余震が今回の震源の周辺を中心に起こる可能性についてです。3ヶ月後から半年、あるいは数年内・・・。

あの地震直後にもある専門家がエネルギーのひずみが溜まる茨城県沖などはかなり危険・・・と指摘していましたが、あると考えて覚悟をしておいた方がいいのは事実として受け止めなければならないようです。そのとき一体我が家は持ちこたえてくれるでしょうか・・・。


ゆうべは社会人向きタヌキ塾(ととりあえず呼んでおきます)の2回目。今回は全部で4人でした。ナマズ絵のこともとりあげました。江戸庶民の復興の原動力となったイメージ運動を我々現代人だってDNAとして持っているハズ!(これ、本当に遺伝情報があるとかないとかの話ではなくて、心意伝承を例えて言っています)

それにしても・・・お互いに言っていたのですが・・・小学校の時に担任したメンバーに再びこうした形で授業ができるというのは不思議な縁です。しかもみんな社会人になって仕事や家庭を持っている・・・そんなことも踏まえて小学生には出来なかったような突っ込んだ内容のことができるというのも面白い感覚です。

塾ですから有料なのですが、それでも集まってきて盛り上がるというこの心や生き様も、こうした非常時に始まった試みだからこそまた深い意義があると思います。

(8日 朝)寝室は危険なので比較的物が崩れてきても直撃は回避できそうなリブマックスの椅子の上で休みました。でも眠れるところまではなかなかいかず、かなり頭がボーッとしています。なので本当は入れ替えアルバムの画像も更新する日なのですが、ちょっとそこまでの気力がないので画像の更新は明日以降にします。

本格的な片付けは余震で再び崩れる恐れがあることから進めていなかったのですが、ゆうべのようなことがあると一体何時頃まで片づけをしないままでいようか迷います。学術書などの重たい本が大量にあって、それをいまのところ部屋のあちこちに横積みしている状態。やはり数ヶ月の間は辛抱でしょうね。

今日で地震からちょうど4週間。復旧が早めに始まった水戸市ですが、それでも店内の大破で休業中というお店があちこちにあります。原発問題で農業や漁業の方への影響がこれからより深刻になることも目に見えていて・・・みんなで支え合って乗り切るという上でも、風評被害はせめて食い止めたいものです。意識の持ちようによって確実にくい止められる被害なのですから。

(8日 午前0時すぎ)つい先ほど起きた規模の大きな余震・・・テレビでもやっていますが、かなり長時間揺れていました。タヌキ、ちょっと気が動転しています。

最初は緊急地震速報の警報音・・・ここ数日、速報があっても地震が起きないこともあって、今回はどうかなと思ったら強い揺れ・・・ちょうど寝室にいたのですが、棚のものがバラバラと落ち始めて・・・・これ以上強くなったらテレビなども危ない・・・となっていたのですが、それ以上は強くならずに、でもしばらくある強さがキープされていました。

その後テレビでは「水戸 震度4」と出ましたが・・・・トンデモナイ!!!!!・・・だれがどうやって決めているのか分かりませんが、あれで震度4と言われたら、5や6ってどれだけ????・・・・「5」あるいは「5強」というのが体感です。

今夜これから眠れるでしょうか・・・・・あの地震から今の日付で4週間・・・まだまだ震災は継続中という想いを新たにさせられました。

(7日 朝)今もまだ頭の芯の部分は痛いですが、昨日一日の痛みに比べればかなりいいです。

学習会便りのコーナーも更新しましたが、これを用意したのは火曜日の夕方・・・二十四の瞳が放送される前です。上原先生が石巻市で行った平成2年の合宿の際の言葉の引用ですが、二十四の瞳をみてから、そしてまた石巻をはじめとする被災現場や避難所生活の報道を観てから、この上原先生の言葉を読み返すと、大きな「生命の流れ」という中での「子ども」ということが思い知らされます。

がきんちょ3人組の一人である鈴木理子さんも出演されている映画の試写会情報が先日から理子さんのブログ内で紹介されています。撮影が東北中心に行われたということで、理子さんもだいぶ心を痛めている様子です。私も親戚の集まる福島県だけではなく、児言態の合宿でお世話になった地域も壊滅的な状況で・・・つらいです。

このあたりの学校でも昨日から新学期がスタートになっているのですが、子ども達の姿が明るい希望となってより輝けるように、表面的な得点力を競わせてヤル気や興味を消し去るような授業は控えて欲しいと願います。「脱ゆとり」とは「詰め込み教育の復活」ではないと思うので。


(6日 朝)ゆうべの授業の途中から偏頭痛も起きはじめて・・・だんだんひどくなり・・・ずっと痛みで寝付けないのでこんな時間に更新作業をしています(現在4時をまわったところ)。咳をするとかなりしんどいです。

そんな状態ですので、二十四の瞳もまともには観ていませんが、ちょっと確認したところが教え子たちが自分の住む家の境遇や大きな世の中の流れに翻弄されて苦難に直面していくところ。(修学旅行先のうどん屋でよそにやられてしまったかつての教え子に再会する場面)これ以外にも涙なにしは観られない場面がたくさんあるのですが、クライマックスでの戦争や肺病で亡くなった教え子を偲ぶ場面もかなり感情移入してしまいます。私も幾人かの教え子達に先立たれてお墓まいりなどをしているので。教師として自分より先の人生があると思って教えていた子どもの名前が墓標に書かれているのを見るのは本当に辛いものです。

今回の大災害では「教える側」も「教わる側」も「育てる側」も・・・大勢の方々が亡くなられていて・・・生き残っても始業式や入学式が素直に喜べない子も大勢いて・・・。

・・・と打ちながら体温計を脇にはさんで15分以上・・・昨日の朝は37度近かったのですが・・・今朝は逆に35度3分・・・低体温です。体温が低すぎての頭痛???細胞レベルで機能が低下している状態です。気力も低下するわけです。


(5日 朝)咳やノドの腫れはややマシになってきたのですが、背筋に「いつ発熱してもおかしくないよ」というような悪寒は残っています。それにわをかけているのが余震・・・震度の数値としては2や3レベルなのですが、かなり頻繁に起きていてやはり夜も寝付けません。脈や呼吸の乱れがやっと落ち着いてきて眠れそうになると再びガタガタッ・・・小さな揺れでも心身が過剰反応してしまう・・・その点は子ども達と変わりありません。子ども達はもっと不安なのでしょうね。見かけは平静でも・・・。

ゆうべNHK BS でデジタルリマスター版と銘打った「東京物語」を放送していました。古い日本映画ですが世界的にも大変に高く評価されている名作です。私がこれを初めて観たのは高校生の頃・・・そしてそれからほんの1〜2年後、私にとって大きな精神的支えであってくれていた母方の祖母が逝ってしまいました。臨終の際に祖父と叔母二人が病室にいたのですが、祖父の様子は東京物語の老人とかなり近かったのが今でも焼きついています。

この映画を観ると(というよりはオープニングに流れる音楽を聴いただけで)父方母方にかかわらず、祖父母たちとのいろんなことが思い出されて・・・勝手に涙があふれてきてしまいます。

そしてまたこの映画は「感動的」であると同時に、ある種の「こわさ」も冷静に淡々と描かれている映画・・・それが高校生の時に率直に感じたことで、映画のラストあたりで親戚たちの態度を批判する若い女性の気持ちに感情移入していました。それを原節子演じる若い未亡人が諭すのですが、それに納得できない高校生時代のタヌキがいて・・。

でも、そうした人間の一面も「代替わり(代送り)」が行われる上で避けられない部分なんだなと・・・少しは原節子さんのセリフに納得いった現在のタヌキ・・・年をとってきているなと再確認です。

今夜は木下恵介監督の名作「二十四の瞳」の放送です。これも涙なしには観られません。分校勤務時代に担任したクラスが12人で、廃校決定をきっかけに「平成 二十四の瞳」をビデオドラマとして製作開始したのですが、まだ未編集です。撮影の半分以上はハイエイト規格なので、もうその機材の修理やヘッド交換は不能だとか。編集途中でヘッドの寿命がきたらアウト、というのも編集作業に着手できない理由の一つです。

(4日 朝)何気なくある箱の中をみたら体温計がありました。なんでこんな場所に?という感じでしたがあまり深くは考えずに計ってみました。36度7分・・・夜の隣組の集まり前に計ったら37度5分でした。発熱によるだるさ以外にきついのは時折激しく襲ってくる「咳の連発」。なのでゆうべは一晩中安眠できずにいました。たぬき・・・かなりボーッとしています。

隣組の集まりでは当然地震に関するいろいろな話題になったのですが、どうも聞いているとこの同じ隣近所であっても揺れのムラがかなりあったようです。波の進む方向や地質、そして波の干渉による強弱・・・家の中のものはほとんど倒れなかったのに塀や瓦が崩れた家もあれば、我が家のように一見外からみたら塀も瓦も踏みとどまっていながら、室内は目茶苦茶な瓦礫状態になった家まで・・・。

ちなみにこの7軒のうち、最も室内が大変なことになったのは我が家だったようです。(福島県いわき市に住む親戚のうちのある家ではあの本震の時でさえ花瓶が一つ倒れただけと言っていました。ここより震源に近いのに。やはりムラがあります)


昨日の昼間は、体調が悪くても早めに入手したかったものがあってちょっと離れた場所のホームセンターに行きました。そこに地元茨城の生産品を集めた小さなコーナーがあったのでちょっと立ち寄ってみました。目に付いたのがドーンとした量の入った収穫したばかりのようなほうれん草。


それが一把60円!さすがに放射能で騒がれているだけあって値段の暴落です。でも迷わず二把買いました。「風評に対しての自分の態度表明」とか、「困っている生産者の方々への支援」いうつもりはありませんでした。ただ単に「おいしそうなほうれん草だな」と思ったから買ったのです。とりあえず帰宅後すぐに下茹でしました。


(3日 朝)実はこのところ体調が悪化傾向で・・・2日未明からノドが腫れ、昨日はあれほど外は暖かだったのに何となくゾクゾクッとしながらの一日、咳もそれなりにひどくなっていて・・・今朝は「いかにもあと数時間後には発熱します」というような全身だるーい感じで頭もボーッとしています。(ちなみによく使っていた体温計は先だっての地震で崩れたものの下敷きになって破損です)古いのがあるかもしれない引き出しはあるのですが、それをあけるにはもう少しその周辺の片付けを本格的にしないとなりません。手をつけていない部屋や場所は家じゅうにあります)今日は家庭教師はないですが、夜に隣組の半年に一度の集まりがあるので、どうしようかなと思っています。

それでも昨日の午後はずっと手をつけていなかった食器棚の中をちょっとだけ整理。開けてあって台所で散乱してしまった割れたものは震災翌日に少しは取り除いていたのですが、中で倒れたり割れているものは余震が続いていることもあったのでほとんどそのままでした。でも少しずつ自分でも調理するようになり、食器をもっと出せるようにしないと・・・・あとよく使っていた食器もかなり割れてダメになったので、近いうちにとりあえず2〜3は買い足そうと・・・ということで簡単に整理しました。

それがやっと終わって一息ついた数分後・・・ここ数日では大きめな余震。結果としては震度4でしたが、ガタガタッと揺れが強くなった瞬間、部屋のものがいくつか落ちて「またあの再来か!このあとさらにすごい揺れが来るのか!!!」とかなりの緊張。時間にしては秒単位のできごとなのにそれ以上は強くならずにおさまってくれても、しばらくは呼吸も脈も乱れがちでした。速報をみようとすぐにテレビをつけた時にも、なかなかリモコンのスイッチを正確に押せず・・・かなり自分が動揺していることが分かりました。

こんな余震続きの状態なので、片づけを本格的にしようとの気力も湧かず・・・。

さらに福島関連の風評ニュースが自分の気持ちに追い討ちをかけます。いわき市は父の実家もあって親戚が多く、また母方の親戚もたくさんいるところなので幼い頃から愛着のあるところです。そこが地震と津波だけでなく「放射能」などの様々な実害に加えて「復興・支援から見捨てられている実感」「風評被害による農業・漁業・観光をはじめ各産業の絶望的な気分」「ふるさとを離れなければならない無念さ」「よその土地に着の身着のままで避難してお世話になる肩身の狭さ」・・・・とにかくあげてもきりがないような状況が日々伝えられています。

首都圏の電気に依存した豊かな生活の犠牲になっているのに、あまりにも違う被災した他県との復興支援の差・・・。

学校現場も新学期準備どころではないというのが余計に心に痛いです。地方に分散してしまって見知らぬ土地で新学期を迎える不安も計り知れないでしょうし。

もちろん日本各地への福島県人を温かく迎え入れてくれている人たちの真心や姿勢はありがたいと思いますが、それで肩身の狭さや今後への不安などが解消されるわけではありません。それなのに「風評」によって追い討ちをされている。

もちろん多くの人々が放射能がコワイから避けたいというのも無理はありません。でも先日宮崎駿監督も、子ども達や若い人たちならともかく、監督と同世代の方々が水を買いだめしていることを嘆いていましたが、ここで中年以降の年齢の人たちがどんな生き様をみせるのかも問われています。

私なんかも放射能云々がなくても余生がどれだけあるかなんてたかがしれていると震災前から思っていましたから、教育関連のことでも何か具体的に力をかせることがあれば貸したいくらいです。(もっともこんな余震で心身がまいってしまっているようなひ弱な精神力でつとまるほど甘いことではないですが)でも何もできないでいる自分が情けないという気持ちは日に日に強くなってしまっています。


(2日 朝)昨日は平成23年度のスタートであり、あの地震から3週間目であり・・・そして仕事上も初の試みがありました。

それは先日、うちの様子をみにきてくれた教え子からの依頼で「社会人向けの塾」でした。予定では4人から6人くらい集まるということだったのですが、昨日は急な仕事でこれなくなった人も出てしまって、二人でのスタートでした。それでも人数が少数だっただけあって、密度はかなりありました。授業後しばし話しこみ、ハッときがついたら0時半でした。

その余談の最中、盛んにパチパチっという音・・・もしかしたら異界からの参加者もいらしていたのかな????という話にもなりました。元同級生でお二人ほど先に逝かれてしまっているので・・・。

少人数でも継続されて社会人としての経験も積んだ教え子たちと共に高まっていけたらと大真面目に思っています。松下村塾っぽくというのはおこがましいかもしれませんが・・・。

(4月1日 朝)今日から平成23年度。夜には家庭教師生活で初の試みが予定されています。はたしてそれが一時的なことで終わるのか、定着していくのかは全く分かりませんが、「今」を大切にの精神でやるのみです。

昨日、更新作業後すぐにお墓の偵察に旧大和村まで行ってきました。墓石は倒れてはいませんでしたがそれなりに位置がずれていました。雨が降ると内部に水が浸入しそうです。



また、昨日から常磐線の土浦-勝田間も運転を再開。一時間に一本程度の徐行運転、各駅停車のみで10日間ほど線路の様子をみるそうです。各駅停車で普通は上野まで2時間程度なのですが、しばらくは2時間半くらいかかるとか・・・・。でも今朝の散歩の時に駅の方も歩いてみたときに電車がちょうどきたのですが、また一つ途切れていた時間がつながったような気がしました。


こんなおよそ20日間ものあいだ、電車が走っている姿をみなかったのは初めてですから。